面白い方へ転がっていくブログ

TouchDesignerとかUnityとか色々使って面白そうな方向へ転がっていきます。

新卒から12年勤務していた会社を辞めました

この記事は 退職者 Advent Calendar 2017 - Adventar の11日目の記事です。

adventar.org

というわけでタイトルの通り、新卒で入社して12年間勤務していた会社を2017年9月末をもって退職しました。 10月から現職で働き始めており、在籍期間がまだ2か月くらいと短いため、現職の事についてはあまり深い話は出来ません。

TL;DR

なんか調子にのって書いていたら長くなっちゃったので、要約すると

OculusRiftかぶったらもうVRの事しか考えられないし、HoloLensもやべぇ!
メディアアートとかもやりたいぜぇぇぇぇえ!!
うぉおおおお!!転職しちゃおー!!

です。

自己紹介

3歳になる娘がいます。
めちゃくちゃかわいいです。
最近ホッペにチューするのを嫌がるようになったけど、その断り方が「お化粧しているから、チューするとお化粧パパについちゃうし、とれちゃう」という大人な返しをしてきます。 おもちゃのお化粧です。

あ、これ自己紹介じゃなくて、娘紹介でしたね。

前職について

前職は某家電メーカーのソフトウェア専門子会社でGUI関連の開発を中心としたエンジニアをやっていました。 家電メーカー子会社ということもあり組み込み向けの仕事が多いところでしたので、私も組み込み向けの仕事をしていた事もありましたが、私の場合はちょっと特殊でWindowsアプリやAndroidアプリ層の開発を行っていた時期の方が長かったかもしれません。

前職に入るまで

もう12年も前の話なので今の新卒の人には全然参考にならないかもしれませんが、せっかくなので当時前職に入るまでの話、すなわち新卒の就職活動を振り返ってみたいと思います。 2004年入社なので、就職活動をしていた2003年当時は確か就職氷河期の最悪期から、ちょっと立ち直り始めているかな?くらいの時期で、最悪とまでは言わないけれど大変な時だったと思います。

応募するキッカケは就職活動が始まるくらいに自宅に届いた新卒募集のダイレクトメールです。当時使っていたVHSビデオデッキがそのメーカーのものでリモコンが使いづらくてしょうがなかったので、ちょっと文句言うついでに応募してみるか、くらいの軽い気持ちで応募しました。とはいえ親でも知っているメーカー系という事で、第一志望でもありました。

そんな軽い気持ちで応募したものだから、選考の日程もかなり早いやつを適当に選んでしまい、就職活動を始めてから最初のSPI試験と面接(両方とも同じ日に行われた)が第一志望の前職だった、という状況でした。 会社説明会自体は大手/中小SI、ゲームメーカー等々に参加はしていましたが、選考までは進んでいませんでした。

前職の面接が初めての面接だったのですが、私の数少ない新卒面接の経験の中では一番楽しかったです。 もちろん日頃のリモコンに対するうっぷんを晴らせたというスッキリ感もあったのですが、一番覚えている楽しかった質問が

「ここにあなたを含めて100人いるとして、あなたは何番目くらいだと思いますか?」

というもの。当時ちょっと流行っていた答えのない質問ってやつなんですかね。

私は中途半端な「51番目」と答えました。 理由としては自分よりも能力が上の人はいっぱいいるし、同様に下の人もいっぱいいる。 だから恐らく半分くらいだろうと。しかしまったく真ん中の「50」では、そこで安定してしまって上を目指さなくなるかもしれない。だからちょっと下の「51番目」で上を向いて行きたい。

みたいな事を言ったような気がします。 個人的には今同じ質問が突然きてもそんな回答は出来ないよってくらい良い回答しました(自画自賛)。 きっと、リモコンのうっぷんが晴れたスッキリ感のおかげでしょう。

他にも履歴書の趣味に絵を描く事だとか書いていたので、面接の最後に当時の人事部長の似顔絵を描いたりもしました(※好きなだけで下手です)。 人事部長と社長との2対1の面接で似顔絵を描きながら雑談をするという謎の空間が出来上がっていましたが、楽しかったです。

そんなこんなあって、前職に入ることになりました。

前職に在籍していた12年間は、大きく3つに分けられます。

  1. 社内向けGUI開発ツールの開発(約5年)
  2. カーナビGUI開発(約6年)
  3. Windowsアプリ開発(約1年)

社内向けGUI開発ツールの開発

リモコンの操作性の悪さについてしゃべり過ぎたせいか、最初に配属された先はユーザービリティ研究を行っているところでした。
場所は横須賀の方で当時「研究所」と呼ばれていたところです。 多くの人は製品開発の方(横浜)へ配属され、研究所は同期50名くらい居た中で私を含めて4名だけでした。

このユーザービリティ研究部門は大きく2つのグループがあり、一つは本当にユーザーに機器を使ってもらってアンケートを収集して分析したり、ペルソナを使ったUXの向上とかそういった事を研究しているグループ、もうひとつは自社製品のGUI開発を効率化することを目的とした、GUIを開発するためのWindowsアプリケーションの開発および、そのGUIの実行ランタイムエンジンの開発を行っているグループでした。

私は後者の方の開発に携わることになりましたが、当時私が入るまでこのGUI開発ツールの開発はグループといっても1人で、しかも開発している人は立場的にはめちゃくちゃ偉い人だし、なのにめちゃくちゃコーディングするし、書くコードも無駄がないし、新卒のちょっと授業でCとかJavaやりましたレベルの私にとっては「なんかヤベェところにきちまった・・・」という感想だったのを覚えています。

それでもなんとか2年くらい頑張っていたら、後輩が2人同じ部署に配属されてきました。 この後輩2人が2人ともこれまた相当にヤバい人達で、当時もしも新卒面接の時の質問「ここにあなたを含めて100人いるとして、あなたは何番目くらいだと思いますか?」という質問をされていたら、100%ぶっちぎりで100番!!!!と答えていたことでしょう。この世界には遥か上のヤバい人たちしか居ない!

当時は周りについていくために必死でしたが、振り返ってみるとヤバい人たちしか周りに居なかったあの環境は恵まれてたなー!!最高だったなー!!と思います。

カーナビGUI開発

会社の状況がどんどこ悪くなる中で、研究開発が縮小方向へと向かい、GUI開発ツールも開発中断となりました。 開発中断となる2年くらい前に、子会社である我々がこのGUI開発ツールを全て開発・サポートするという事で全てを引き取ってハンドリングする立場にありました。 しかし時代と共に家電の性能も上がりGUIに求められるクオリティが向上する一方、従来型のあまりリッチではないGUIを必要とする機器も存在し、その格差がどんどん広がっていく中で、その全てをカバーしようと手を広げ過ぎた事によって「帯に短し襷に長し」な中途半端な立ち位置のツールにしてしまったのが中止となった原因でもあります。 特に少人数の開発でしたので、ターゲットを絞って開発していたら、もっと違った結果になったかもしれません。

前置きが長くなりましたが、そういうわけで研究開発から製品開発であるカーナビ開発へ転属となりました。
場所は群馬県前橋市。未開の地「グンマー」として恐れられている地です。そこに運転免許も持たずに転勤することになりました。(転勤後すぐに運転免許とりました)

入社6~7年目、真剣に転職を考えた最初のタイミングです。

しかし、前橋で出会ったナビ開発を主導していた偉い人がこれまたとんでもないヤバい人で、製品のコンセプトに対する信念が強くて、その信念を守るためなら他は何を犠牲にしても良い!という明確なビジョンを持って開発を主導していました。直前にコンセプト不在で社内向けGUI開発ツールの開発中断を経験していたために、その力強さに惚れ込んで結局転職するのを辞めました。

ナビ開発で担当していたのは、GUI開発のためのオレオレフレームワークの開発、メンテ等々。他にも技術的困難な機能のものを部品として提供するための先行開発的な事をしていました。ナビ開発の忙しさは時期にもよりますが、プラットフォームを全面的に変更する時なんかは毎日のように終電ダッシュ(終電に間に合うように会社から駅までダッシュ)したり、昼休みはパンを食べながらずっと仕事してました。3~4ヵ月くらい昼休みに休んだ記憶がありません。が、めちゃくちゃやりがいはありましたし、良いもの作ってる感覚があって、個人的にはそこまで辛みは無かったです。むしろ楽しかったです。ちなみに前橋は最初の1年だけで、そのあとはナビ開発拠点ごと八王子へ移転したので、ナビ開発2年目からは八王子へ引っ越してます(前橋は車/自転車通勤が大多数で電車の終電がないため、終電ダッシュが存在しない)。

頑張ったかいもあって(?)ナビの売り上げは順調に上がっていって、気が付けば会社を支える事業に育っていました。私がナビ開発に配属された当時は社内でもあまり存在感のない部署だった気がします。そうやって成長してくると製品ラインナップが異常に増えてきて、これまでの尖った何を犠牲にしてもコレ!というものを追求するという姿勢よりは、既存のものを使いまわしたり見た目だけを変えたりするような形となり、先行開発的な事は減っていき、大量の人を使って大量のものを安く一定品質で作り続ける事が重要となってきました。つまり、どちらかというと技術を使うことよりも、人を使うことの方が多くなっていったのです。会社的には儲かっているので良いのですが、個人的には興味を無くしていき、当時リーダーという立場でしたが、何だかよくわからない雑務で時間ばっかりとられるし、おもしろくないなぁと思い自らリーダーを辞め、空いた時間で何か面白いことしたいなぁと模索していた時期がありました。

そこで出会ったのがOculusRift DK2やGoogle CardboardといったVRの世界でした。

これはヤバい!!!と思いましたが、当時は高スペックなPCも持っていなかったので、Google Cardboard互換のタオバイザーなんかを買って一人すげぇぇええ!すげぇええ!!と唸ってました。

ここで一気にVR業界に転職かっ!?と思いましたが、なんとほぼ同時期に結婚&出産というイベントが発生し、まだ海のものとも山のものともつかない世界に飛び込むワケにもいかず(私自身スキルもあるわけではなかったですし)、とりあえず安定した生活費を稼ぐため会社に居続ける事になったのでした。

Windowsアプリ開発

なんやかんやあって2016年にナビ開発から抜け、Windowsアプリ開発(C#)を中心とした部署へ異動になります。かなり最近の事なのであまり詳細は書けませんが、個人的に製造業の常識をサービス業に近いソリューションビジネスに持ち込むのは辞めた方がいいんじゃないかなぁと思うようなところでした。ただ、ここでも良い出会いがあり、上司でもあり一緒にアプリを開発していた方がなかなかヤバい人で、もうしばらくこの会社に居てもいいかなぁと思っていました。

とはいえ家ではVR ReadyなPCを嫁に無理言って買わせてもらい、OculusRift CV1 + OculusTouchも買い、子供を寝かしつけた後に(一緒に寝てしまわなければ)、シコシコとVRアプリを作って転職の機をうかがっていました。

そして2017年春に一緒に開発していた上司の方が退職されたのをキッカケに本気で転職活動を始め、現職に至ります。

転職活動について

転職活動にはWantedlyを使いました。
ポートフォリオというポートフォリオが無い状態でしたので、正直不安しかありませんでした。
唯一、UnityでOculusRift向けに作っていたものが以下の動画の「ホタル観賞VR(仮)」のみです。


Unity5.6 ホタル観賞VR(仮) テスト03

Unityを勉強しながら作っている未完成のこれだけで雇ってくれた現職には感謝しかありません!

ちなみに、転職活動も今のところが転職活動を始めてから初めての選考で、しかも一番良いなぁと思っていたところでした。 ほんと奇跡的としか言いようがないです。

現職はどんなところ?

ヤバい人たちしか居ません!

TouchDesignerめちゃくちゃ使ってます!(私はまだ勉強中ですが・・・)

HoloLens案件めちゃくちゃあります!

VR ReadyなノートPC支給されます!

Webサイトは↓です!
THINK & SENSE

転職して良かったか?

私は良かったと思ってます。
正直、年収とか色々な面を考えると減った部分はあります。 しかし、面白い方へ転がろうと思えば、いくらでも転がらせてくれそうな雰囲気がありますし、実際個人的にはすごい面白いです。 (※会社的には(悪い意味で)ヤベェやつ採ってしまった・・・となっているかもしれませんが・・・すみません!)

前職では昼休みとかに隠れるようにしてUnityを触っていたのが、毎日堂々とUnityを起動することができますし、HoloLensがすぐ手の届くところにある!毎日かぶれる!(仕事だから当たり前ですが)

まだまだ私は中途採用の割には価値が全然出せていないので、これから頑張って価値出していきたいです。

最後に

新卒からの12年を改めて振り返ってみると、ほんと凄い人たちとの出会いがターニングポイントごとにあったなぁと思います。そういった人達に出会う度に成長させてもらいました。本当に感謝しています。そして今も絶賛凄い人たちに囲まれてますが、その中でも存在感出していけるように頑張りたいと思います。

さらに「面白いことやりてぇ!」で転職してしまうような奴を支えてくれている妻と娘にも感謝です。 二人のためにももっと頑張っていかないとな、と思えます。

そして最後にお約束ですが、現職(ティーアンドエス)ではエンジニア&デザイナーを募集しています! Wantedlyではエンジニアの募集は終了していますが、まだまだエンジニアも募集していますし、デザイナーさんも絶賛募集中です!! 是非お願いします!

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